育った村では周囲から奇異の目で見られ忌み嫌われていたアウロラを、先住人たちは暖かく迎え入れた。
中でも教育係を買って出た古株の巫女マルモは、気さくに語り屈託なく笑う、今までアウロラが接したことのないような人物だった。 「本当にくだらないね。別に尻尾や角が生えてるわけじゃあるまいし……と」 あわててマルモは口を閉じる。 今は行方知れずとなっている調和者と呼ばれる神アルタミラは、翼と角を持つという伝承を思い出したからだろう。 その後マルモは、アウロラを腫れ物のように扱った彼女の故郷の人々のことを、まるで自分事のように怒り散々にこき下ろす。 そして、申し訳なさそうに顔を伏せるアウロラの頭を優しくなでながらこう言った。 「安心しな。ここにいる連中には、そんなことでとやかく言うような馬鹿はいないよ。一緒に主様をお支えしよう」 マルモの言葉の通り、この神殿に住む人々はベヌスを心より信奉していた。 闇を統べる神、そしていずれこの闇の領域を統治する偉大な王になるその存在に仕えていることを、心の底から誇りに思っていた。 「まあ、城下に住んでる人間なら主様を間近に見てるからそんなことはないけれど、あたしらみたいに田舎育ちだと伝え聞く主様しかしらないからねえ」 そりゃあ、あたしも実際にお会いするまでは恐ろしい方だと思っていたさ。 そう言ってマルモはけたけたと笑った。 「でも、あんたが来てくれて良かったよ。さすがに神事で舞を捧げるのがあたしみたいな年増じゃサマにならないからね」 「……神事、ですか? 」 それは一体、とでも言うように首をかしげるアウロラに向かい、マルモはそう言われてもわからないよねえ、と一人納得したようにうんうんとうなずく。 「主様が闇に感謝を捧げる儀式の時、巫女がその御前で舞を捧げるんだよ。大丈夫、次の儀式まではまだまだ時間があるし、そんなに難しいものじゃないし、あんたならすぐに覚えられるよ」 それでもなお不安げな面持ちのアウロラの背を、マルモは数度ぽんぽんと叩いた。 「ほらほら、駄目だよ、笑って笑って。笑ってりゃそのうち気分も明るくなるってもんさ」 「……マルモさんは、お強いんですね」 「そんなことはないよ。歳を取って図太くなっただけさ。あんたこそそんな顔してちゃ、せっかくの美人が台無しだよ? 」 マルモの言葉に、アウロラは訳がわからないとでも言うように数度瞬く。 その様子に、マルモはアウロラの顔をまじまじと見つめた。 「ちょっと、どうしたんだい? ぼけっとしちゃって」 「すみません……その……今まで自分の容姿をそんな風に言われたことがなかったので……」 アウロラの返答に、マルモはやれやれとでも言うようにため息をつく。 ややあって、マルモはどこか寂しげな微笑を浮かべた。 「マルモさん?」 不安げに尋ねるアウロラに、マルモは申し訳なさそうに言う。 「ごめんよ。あんたは今までとても辛い思いをしてきたんだね」 けれど、アウロラは目を閉じ首を横に振った 「いいえ、気になさらないでください。生まれ育った村でも、こんな瞳を持っているのはわたくし一人でしたから」 自分を捨てた人物も、さぞや不気味に思ったことだろう。 そう言った後で、アウロラはある事に気がつく。 「そう言えば、マルモさんやこの神殿の皆さんは、どうしてわたくしを怖がらないのですか?」 そう問うアウロラに、マルモは片目をつぶってみせた。 「そりゃあ、光の神さんのお使いを見てるからさ。あの人たちは、まあ、色んな髪の色や目の色をしているよ。それに比べりゃ、あんたのなんて大したことじゃないよ」 そう言えば、ベヌスも似たようなことを言っていた。 この領域の外には、金色や銀色の髪を持つものもいる、と。 黙り込むアウロラに対し、マルモはさらに続ける。 「今度の即位式の時にもお使いが来るだろうからさ。まあ、実際に見ればわかるよ。そりゃあ綺麗なものだから」 でも、あたしらがお仕えするのは主様だから、浮気しちゃあいけないよ。 そう真面目な顔で言ったあと、マルモは豪快に笑った。 つられて微笑を浮かべるアウロラに、マルモはほっと安堵の息を漏らす。 「……どうか、されました? 」 首をかしげてみせるアウロラに、マルモは優しく言った。 「あんたが初めて笑ってくれたからさ。あんまり辛すぎて、笑い方を忘れちまったのかと思ってたよ」 言われてみれば、最後に声をたてて笑ったのはいつだっただろうか。 涙を流した記憶は無数にあるが、笑った思い出は無いに等しかった。 そんなアウロラの内心を察したのだろうか。 マルモはにっこりと笑うと、おもむろに切り出した。 「さ、じゃあそろそろ始めようじゃないか。良く見ているんだよ」 言い終えると、マルモは闇に捧げるという舞を舞ってみせる。 その舞はまるで静止しながら動いている様な、今までに見たことがない不思議なものだった。 それまでのマルモとは異なり神々しささえ感じるその表情に、アウロラは目を離せずにいる。 やがてマルモが舞い終えた時、アウロラは未だ心ここにあらずと言うようにその姿を見つめていた。 「ざっと、こんな感じだよ。大丈夫だろ?」 すっかりいつもの調子に戻って言うマルモに、アウロラはようやく現実に引き戻されたようだった。 どこか不安げに見つめてくるアウロラの手を、マルモはおもむろに取る。 「まずは、最初の形から。これを覚えてしまえば後は簡単だよ」 言いながらマルモは、アウロラに片目をつぶって見せた。婀霧とディーワ、両者の叫びがベヌスの耳に届いたかどうかはわからない。 けれど、真紅の沼に膝を付くべヌスは嗤っていた。 光を失いつつある漆黒の瞳をディーワに向け、呪いの言葉をつぶやく。 「以後、闇は安息をもたらすものにあらず。人々に恐怖をもたらすものとなろう。恨むなら自身を恨め、光神よ……」 言い終えると同時に、ベヌスの身体は崩れ落ちる。 赤い沼に倒れた身体は、程なくして黒い霧となり四方へと散っていった。 「……これは一体?」 驚きの声を上げる婀霧。 一方ディーワは、一部始終を見届けると重いため息をついた。 ──その身は滅びても、精神はこの世に遺すか。それほどまでに……── 私を恨んでも恨みきれぬ、という訳か。 そう吐き出すように言うと、ディーワは目を閉じ頭を揺らす。 ほぼ同時に、その輪郭は揺らめき消えていく。 水の結晶の効力が切れかけているのだ。 「待ってください、大主! 私達はどうすれば……?」 光神の全権代理人たるカイは、その任を放棄して去った。 その言葉が本心であるならば、戻ってくることはないだろう。 ──これ以上……流血は、無用。婀霧、そなたが……に代わって……── 途切れ途切れに聞こえてくる言葉を耳にした婀霧は、思わず大きな声を上げる。 「私が? 私に和議を結べと? それは……」 あまりにも荷が重い。 自分より相応しい者がいるのではないか。 そう固辞しようとした婀霧だったが、伝える前に光神の姿は光の粒となって霧散する。 同時に水の結晶は内包していた力を使い果たし、ひび割れれ粉々に砕け散った。 残された婀霧はしばし呆然と立ち尽くしていたが、すぐに我にかえり周囲に視線を巡らせた。 ブイオ攻略戦の折の犠牲者が納められた無数の棺。 和議を結ぶのであれば、彼らを家族の元へ返さなければ。 そして。 婀霧は、アウロラとベヌス、二人分の血を吸った短剣を拾い上げる。 未だベヌスの血で赤く染まっている刃をマントで拭うと、アウロラの棺のかたわらに膝を付く。 そして、改めて短剣をアウロラの手に握らせてやった。 「巫女殿、あなたの思いは、私が引き継ぎます。闇の領域と和議を結んで、この争いを終わらせます」
べヌスの視線を受けてもなお、ディーワは何も語ろうとしない。 そんな『友人』に向かい、べヌスは絞り出すように言った。「そう、なのか? そなたは吾を亡きものにしたいほど、忌み嫌っていたのか?」──それは違う! ── ようやくディーワは声を上げる。 その目は珍しく鋭く輝き、アルタミラを名乗る少女を見据えている。──私をそそのかし戦を起こさせて、何が楽しい? ──「そそのかすですって? 私は一つの可能性を示しただけ。行動を起こしたのはあなたじゃない」 ばさり、という羽音と共に、アルタミラは翼を羽ばたかせる。 同時に身体は中空に浮かぶと、夕闇色の光を放つ。「待て! 話はまだ……」 咄嗟にべヌスは立ち上がり、アルタミラを捉えようとする。 だが、彼の手が少女に触れる前にその姿は混沌の中へと溶けていった。 唖然として何もない空間を見つめるべヌス。 その背に向かい、ディーワは静かに語りかけた。──……あの少女の口車に乗せられ、行動を起こしてしまったのは私の咎だ。どんなに謝罪しても足りぬことはわかっている。しかし……──「……そうだ。もう遅い」 けれど、その言葉に対しべヌスは振り返らなかった。 そのまま倒れ伏す婀霧に歩み寄ると、息があることを確認する。 そして、その身体を横たえながら静かな口調で告げた。「そなたの忠臣は無事。気を失っているだけだ」 ようやくべヌスはかつての友をかえりみた。 漆黒の瞳からは、いかなる感情も読み取ることはできなかった。──ベヌスよ、私は……──「言い訳ならば、聞きたくはない。吾の目の前にあるのは、現実だけだ」 その時、ベヌスの目か
水の結晶は、カイの力に呼応するようにちかちかと瞬き始める。 そしてまばゆい光を放つと、それは光神エルト・ディーワの像を結んだ。 その姿を一瞥すると、カイは冷たくこう言い放った。「さっきも言ったとおりだ。俺はもうあんたの道具にはならない。自分でカタをつけてくれ」 言い終えると、カイは腰に履いていた剣を投げ捨てる。 唖然とする一同の視線を背に受けて、カイは振り返ることなく大広間を出ていった。 ディーワとべヌス、そしてやや離れた所に控える婀霧、三者の間にはしばし嫌な沈黙が流れる。 べヌスは現れたディーワの虚像とは目を合わせようとせず、冷たくなったアウロラを見つめるばかりである。 その様子に、婀霧は意を決したように息を飲むと、かすれる声で切り出した。「……最期の時、巫女殿はこうおっしゃいました。陛下にお仕えできて幸せだったと」 瞬間、べヌスの身体がぴくりと動いた。 ゆっくりと顔を上げると、漆黒の瞳を婀霧の方に巡らせる。「……まことか?」 無表情なべヌスの声に、婀霧はうなずく。「こうもおっしゃっていました。いつか必ず、あなたの元へ、と」 言い終えるやいなや、婀霧はうなだれ声を上げて泣き始める。「本当に、申しわけありません。私が……私がもう少し早く巫女殿の元に駆けつけていれば、こんなことには……」 けれど、べヌスは目を伏せゆっくりと頭を左右に振った。「そなたのせいではない。気に病むな。すべては……」 ひとたびべヌスは言葉を切った。 アウロラに視線を落とすと、べヌスは静かな声で告げた。「吾の咎だ。吾が……」 言うと同時に、一筋の涙がべヌスの頬を伝い落ちる。 武神べヌスの涙
昼間幾多の生命が散っていった平原を、月明かりが照らしている。 その中を、漆黒の駿馬が駆け抜ける。 乗り手は言うまでもなく闇の神にして王たるべヌスである。 彼が目指しているのは、ブイオの砦。 敵の手に落ちたその場所へ一人で行こうとする彼を、ノクトを始めとする重臣達は止めた。 確かに使者からもたらされた書状にも、一人で来いとは書いていない。 けれど、べヌスは頑として首を縦に振らなかった。 その理由は、アウロラにある。 彼女はただ一人光神の本陣で、諸将と対峙したのだ。 神であり王である自分が、一介の巫女である彼女にさせてしまったことをしない訳には行かない。 そんな矜持と後悔の念が、べヌスをとらえていたのである。 こういった理由で、彼は一人ブイオへ向かっていたのである。 やがて視線の先に、陥落した砦が浮かび上がって見えた。 かつては夜通し明かりが焚かれていたその砦も、今は黒い塊にしか見えない。 飛び降りると、べヌスは手近な杭に馬を繋ぐ。 そして、静まり返るかつての砦に向かい呼びかけた。「弟御、来たぞ。どこにいる?」 と、暗がりの中からぼんやりと明かりが近づいてくる。 思わず腰の剣に手をかけ身構えるべヌスの前に現れたのは、甲冑姿の女性だった。 あの人は、確か……。「わざわざのお出まし、感謝いたします。私は弟君の補佐役……」「……婀霧、だったか?」 その一言で、婀霧は凍りついたように立ち尽くす。 それほどまでに自分は恐ろしい顔と声をしていたのだろうか。 べヌスは取り繕うべく何か声をかけようとしたが、うまく言葉が出てこない。 小さく吐息をもらすべヌスを前に我に返ったのだろうか、婀霧はあわてて一礼する。「失礼いたしました。弟君がお待ちです。どうぞこちらにお越しください」
胸騒ぎを感じて、カイは手綱を引いた。 一瞬闇の軍勢が迫っているのかと思ったが、これは敵意ではない。 儚げで悲しげで強い意志がその原因であることに気が付いて、カイは思わず周囲を見回す。 そのような存在は彼が知る限りただ一人、闇の巫女アウロラである。 だが、本陣に拘束したその人がこの戦場にいようはずがない。 その時だった。 かたわらを固める兵達が、上空を見上げている。 中にはある一点を指差している者もいた。 何事かとカイはそちらに視線を移す。と、遥か上空には使者の証である薄藍の布が、糸の切れた凧のように漂っている。 なぜこのような所に。 疑問に思いながらも、カイは風上に視線を巡らせる。 その方向にあるのは他でもない、陥落したブイオの砦だった。 胸騒ぎが、嫌な予感に変わる。 そこからとって返したい衝動に駆られたが、今は戦の真っ最中である。 総大将がそのようなこと、できようはずがない。 そのカイの苛立ちにも似た内心を悟ったのだろうか、脇を固める重臣達が口々に言った。「弟君、いかがでしょう。そろそろ退かれては……」「我々の力を知らしめるのには、もう充分なのではありませんか?」 一瞬ためらった後、だがカイは首を左右に振る。 相手が防御に徹しているのは、必ずしもこちらが圧しているからではない。 べヌスがあえて防戦に全兵力を傾けていることに、カイは気が付いていた。 その証拠に、派手に戦闘が行われている割には、双方の犠牲はさほど出ていない。 ここで退いてしまっては、自分にとっては最良の結果ではあるが、兄である光神は納得してくれないだろう。 さてどうするか。 カイが決断を下しかねていた、その時だった。彼方から、甲高い音が聞こえた気がして、カイは長い耳をぴくりと動かす。 神経を聴覚に集中し、研ぎ澄ませる。 途切れ途切れに聞こえてくるのは、伝
陥落したブイオ。 建物のそこかしこには、何本も矢が刺さっている。 火矢を射掛けられたのか、焦げたような臭いがかすかに漂っていた。「着きましたが……。一体何をされるおつもりですか?」 未だ真意をはかりかねている婀霧の手を借りて、アウロラは馬から降りる。 そして地面に降り立つなり、婀霧に向かい深々と頭を垂れた。「ありがとうございました。この御恩は決して忘れはいたしません」 しかし対する婀霧は、まだ何が何だかわからないとでも言うように首をかしげる。「御恩も何も……。こんなところへ来て、これからどうするおつもりなのですか?」「わたくしは、わたくしにかせられた役目を果たすだけです。婀霧様はどうか、自陣へお戻りください」 弟君には、わたくしから脅されてこのようなことになったと言っていただいて構いません。 そう言ってアウロラは寂しげに微笑んだ。 呆気に取られて立ちすくす婀霧に会釈をすると、すっかり荒れ果てた砦の奥へ向かって歩き出す。 しばし婀霧はその後ろ姿を見送っていたが、武人の勘とでも言うべき何かだろうか、妙な胸騒ぎを覚えた。 次第に小さくなっていくアウロラに向かい、あわてて声をかける。「巫女殿? どちらへ?」 無論、返事が返って来ようはずがない。 言いしれない不安を感じ、遂に婀霧もアウロラを追って砦の中へと足を踏み入れた。 ※ 陥落した砦である。 当然そこかしこには、打ち捨てられた兵の遺骸が転がっている。 上空では猛禽達が旋回し、嫌な鳴き声を上げている。 こんな不気味なところに、あの巫女は一体どんな用件があるのだろう。 薄気味悪さに僅かに身震いしながら、婀霧はアウロラの姿を探す。 そして、その視線を上方に向けた時だった。 視界の端に、薄藍の布が飛び込んでくる